2011年 01月 21日
劇団ひとり 『都会のナポレオン』 |
都会のナポレオン [DVD]
75点
04年に行われた劇団ひとりのライブDVD。特典として各キャラによるドキュメンタリーがある。
キャラ設定の練りこまれた1人漫談。劇団ひとりの作り出すそのキャラクターは、すでにテレビでもお馴染みのものもある。たとえば、北関東出身と思われるヤンキーまがいのホスト志望や芸能界に強くあこがれるアイドル志望の若者、売れない演歌歌手といった具合だ。
徹底したキャラ作りに、劇団ひとりの存在を忘れるほど、彼らは自由自在に動き回る。その極端でも、どこか「あるある感」の漂うキャラは面白い。そんな彼らに共通するのは、「ズレを修正しない」ということ。
だいたい普通の人は少しずれたら元に戻すものだが、彼らはずれたことをそのまま放置し、突き進む。ずれたことに気づいていないといったほうが、正確だろうか。そして誰よりもまっすぐ進むことに長けている。
突き進むことは一般論でも良しとされているわけで、彼らは自分を一般的常識の範疇にいると確信している。だからぶれない。それはまさに滑稽な様だが、一概にダメなヤツともいえない。純粋なのだ。だからこそ彼らに湧いてくる親近感とともに、笑える。
だが、その徹底したキャラ作りのほかに重要なのが、語る相手を決め打ちしているということだ。彼らは決してライブの客やDVDの視聴者に語り掛けない。彼らが語りかえるのは、それぞれに設定された架空の相手だ。われわれは、彼らの話を遠くから眺めているような感覚になる。だが、それでも、劇団ひとりの脚本がいかにわれわれを向いていないにしろ、物語は素直に入ってくる。それは彼らが、架空の相手を架空を思わず本気で語っているからだ。本気の語りだから、他所にいるわれわれにも話が伝わる。そのため当然セリフなど、デタラメな日本語であることも多い。だが、それでも伝わる。それは、われわれの普段使っている日本語だから。そもそも正しい日本語で日常生活を営んでいる人などいやしない。劇団ひとりのコントは、複雑なキャラ設定で複雑な物語を構成するが、すんなりと飲み込める。だから笑える。それもこれも、彼らが誰かに、ずれていながら、それを認識もせずに、ただ熱く語っているからだ。
なにより哀愁漂うキャラは必見だ。
75点
04年に行われた劇団ひとりのライブDVD。特典として各キャラによるドキュメンタリーがある。
キャラ設定の練りこまれた1人漫談。劇団ひとりの作り出すそのキャラクターは、すでにテレビでもお馴染みのものもある。たとえば、北関東出身と思われるヤンキーまがいのホスト志望や芸能界に強くあこがれるアイドル志望の若者、売れない演歌歌手といった具合だ。
徹底したキャラ作りに、劇団ひとりの存在を忘れるほど、彼らは自由自在に動き回る。その極端でも、どこか「あるある感」の漂うキャラは面白い。そんな彼らに共通するのは、「ズレを修正しない」ということ。
だいたい普通の人は少しずれたら元に戻すものだが、彼らはずれたことをそのまま放置し、突き進む。ずれたことに気づいていないといったほうが、正確だろうか。そして誰よりもまっすぐ進むことに長けている。
突き進むことは一般論でも良しとされているわけで、彼らは自分を一般的常識の範疇にいると確信している。だからぶれない。それはまさに滑稽な様だが、一概にダメなヤツともいえない。純粋なのだ。だからこそ彼らに湧いてくる親近感とともに、笑える。
だが、その徹底したキャラ作りのほかに重要なのが、語る相手を決め打ちしているということだ。彼らは決してライブの客やDVDの視聴者に語り掛けない。彼らが語りかえるのは、それぞれに設定された架空の相手だ。われわれは、彼らの話を遠くから眺めているような感覚になる。だが、それでも、劇団ひとりの脚本がいかにわれわれを向いていないにしろ、物語は素直に入ってくる。それは彼らが、架空の相手を架空を思わず本気で語っているからだ。本気の語りだから、他所にいるわれわれにも話が伝わる。そのため当然セリフなど、デタラメな日本語であることも多い。だが、それでも伝わる。それは、われわれの普段使っている日本語だから。そもそも正しい日本語で日常生活を営んでいる人などいやしない。劇団ひとりのコントは、複雑なキャラ設定で複雑な物語を構成するが、すんなりと飲み込める。だから笑える。それもこれも、彼らが誰かに、ずれていながら、それを認識もせずに、ただ熱く語っているからだ。
なにより哀愁漂うキャラは必見だ。
by mineoneo
| 2011-01-21 17:00
| お笑いDVD