2011年 08月 12日
ワンピース |
漫画『ワンピース』を読んだ。
ここに来て初めて手を伸ばした超人気漫画。
最初はドラゴンボールのような印象だったが、
その後、徐々に鳥山明とはぜんぜん違うということがわかってきた。
ワンピースの特徴は徹底した倫理観だと思う。
差別とか支配欲とかいう人間の絶対的な悪徳に対する否定。
しかもその差別や支配が正義によって実行されてしまっているという点は、
正義そのものへの疑問を提示している。
簡単にいえば法律や正義よりも道徳が一番尊いということ。
つまり犯罪だから万引きはいけないのじゃなくて、
ものを盗むことが人に迷惑をかけるからいけないということだが、
この順序はよく逆に理解されることがある。
そして法に触れていないということで、まかりとおる非人道的な行いはこの世界に多い。
フジテレビの韓流偏重放送も、
この理屈で成立している。
そもそもテレビという絶大な権力者が、
K-POPという1ジャンルの権利を有していながら、
(フジパシフィックというフジテレビの子会社がKARAなどの版権を持っている事実)
「流行しているから放送している。視聴者が求めているから放送する」
という理由で、
そのジャンルの放送を垂れ流すのは、
視聴者に、「それだけ韓流が流行している」という誤解を与え、
事実流行ってもしまうだろう。
それだけテレビというのは影響力がある。
ただ、当然テレビにも表現の自由はあるし、
どんな偏向報道をしても、逃げられる道はある。
法に触れない限り。
この「法」というのが厄介なのだ。
漫画ワンピースでは、法に縛られない非常に道徳的な心を持つ主人公が活躍する。
彼の仲間たちも非常に道徳的だ。
それは徹底されている。
しかし実際この世に生きる人間というのはそれほど道徳的ではないだろう。
時に道徳より自分の利益を優先してしまうこともあるはずだ。
そのために法がある。
高岡騒動以降ますます過熱するフジテレビの韓流偏向問題。
片山さつきなどが動いているという話も聞く。
まずはテレビ局の関連会社が1ジャンルの権利を持つことを禁止する法律の成立が先決だ。
力を持った人々にこそ道徳や自己抑制の能力が必要だが、
そんな甘い期待が通用するほど、ことは単純じゃない。
法律が必要なほど、人間というのは利己的なのだ。
ここに来て初めて手を伸ばした超人気漫画。
最初はドラゴンボールのような印象だったが、
その後、徐々に鳥山明とはぜんぜん違うということがわかってきた。
ワンピースの特徴は徹底した倫理観だと思う。
差別とか支配欲とかいう人間の絶対的な悪徳に対する否定。
しかもその差別や支配が正義によって実行されてしまっているという点は、
正義そのものへの疑問を提示している。
簡単にいえば法律や正義よりも道徳が一番尊いということ。
つまり犯罪だから万引きはいけないのじゃなくて、
ものを盗むことが人に迷惑をかけるからいけないということだが、
この順序はよく逆に理解されることがある。
そして法に触れていないということで、まかりとおる非人道的な行いはこの世界に多い。
フジテレビの韓流偏重放送も、
この理屈で成立している。
そもそもテレビという絶大な権力者が、
K-POPという1ジャンルの権利を有していながら、
(フジパシフィックというフジテレビの子会社がKARAなどの版権を持っている事実)
「流行しているから放送している。視聴者が求めているから放送する」
という理由で、
そのジャンルの放送を垂れ流すのは、
視聴者に、「それだけ韓流が流行している」という誤解を与え、
事実流行ってもしまうだろう。
それだけテレビというのは影響力がある。
ただ、当然テレビにも表現の自由はあるし、
どんな偏向報道をしても、逃げられる道はある。
法に触れない限り。
この「法」というのが厄介なのだ。
漫画ワンピースでは、法に縛られない非常に道徳的な心を持つ主人公が活躍する。
彼の仲間たちも非常に道徳的だ。
それは徹底されている。
しかし実際この世に生きる人間というのはそれほど道徳的ではないだろう。
時に道徳より自分の利益を優先してしまうこともあるはずだ。
そのために法がある。
高岡騒動以降ますます過熱するフジテレビの韓流偏向問題。
片山さつきなどが動いているという話も聞く。
まずはテレビ局の関連会社が1ジャンルの権利を持つことを禁止する法律の成立が先決だ。
力を持った人々にこそ道徳や自己抑制の能力が必要だが、
そんな甘い期待が通用するほど、ことは単純じゃない。
法律が必要なほど、人間というのは利己的なのだ。
by mineoneo
| 2011-08-12 10:41
| 本とか